シリアは現代ではカタカナで「シリア」と表記されますが、かつては「叙利亜」という漢字表記が用いられていました。 これは漢字が持つ意味を反映したものではなく、現地発音「スーリーヤー」を近づけるために選ばれた当て字です。当時の日本語における外来語の受容方法を知る上で、この表記は大変興味深い存在といえるでしょう。
漢字表記「叙利亜」の誕生と背景
シリアを漢字で「叙利亜」と書く背景には、日本語が近代化の過程で外国の地名や国名をどのように翻訳・表記してきたかという歴史があります。明治維新以降、日本は西洋の知識を急速に取り入れる必要に迫られました。 その際、地名や国名をどう日本語に翻訳するかが大きな課題となりました。
当時はカタカナよりも漢字が知識層の文章に多用されていたため、外国地名も漢字で音を表す方法が採用されました。「叙利亜」という表記は、アラビア語や現地音「スーリーヤー(Sūriyya)」を日本語に近づけるための当て字でした。読者にとって漢字は親しみやすく、学問的権威を持つ表記と考えられていたのです。
「叙利亜」を構成する漢字の意味と役割
「叙利亜」という表記に使われた漢字は、それぞれ本来の意味を持っていますが、ここでは意味よりも音を優先して選ばれています。以下の表に示す通り、各文字はシリアの発音に近い響きを再現するために使われました。
漢字 | 音 | 本来の意味 | シリア表記での役割 |
---|---|---|---|
叙 | ジョ | 述べる、並べる | 「シ」や「ジョ」の音を表す |
利 | リ | 利益、便利 | 「リ」の音を表す |
亜 | ア | 第二、アジアの亜 | 「ア」の音を補う |
この表記はシリアを象徴する意味を持たず、純粋に音を再現するためのもの であったことがわかります。
他国と比較する外国地名の漢字表記
シリアだけでなく、多くの外国名が当時は漢字で表記されていました。以下に代表的な例を挙げます。
国名(現代表記) | 漢字表記 | 語源となった音 | 備考 |
---|---|---|---|
アメリカ | 亜米利加 | America | 「アメ」=亜米、「リカ」=利加 |
イギリス | 英吉利 | English | 「英」は後に正式な国名略称に定着 |
フランス | 仏蘭西 | France | 「仏」は現代もフランスの略称で使用 |
ドイツ | 独逸 | Deutsch | 「独」が略称として残存 |
イタリア | 伊太利亜 | Italia | 「伊」が現代の略称に残る |
「叙利亜」は残らなかった一方で、「英」「仏」「独」「伊」は現在も使われています。
カタカナ表記と漢字表記の比較
戦後、外国地名の表記はカタカナに統一されました。その理由は、漢字表記が難解で意味と混同されやすいこと、そして国際的な整合性を重視する必要があったからです。
項目 | 漢字表記 | カタカナ表記 | 特徴 |
---|---|---|---|
読みやすさ | 難しい | 容易 | 発音が直感的に理解できる |
意味との混同 | 起こりやすい | 起こりにくい | 「亜米利加」は「アジア+米」と誤解されやすい |
国際的整合性 | 低い | 高い | 外国語の音に近い |
現代使用 | 歴史的資料に限定 | 一般的に使用 | 教育現場や報道で統一 |
この表からも分かるように、カタカナの方が現代日本語における外来語表記に適している と判断されました。
当て字文化の広がりと日本語の特性
「叙利亜」のような当て字表記は地名に限らず、外来文化や日常語を取り入れる際にも広く使われてきました。
外来語 | 当て字表記 | 現代表記 | 備考 |
---|---|---|---|
コーヒー | 珈琲 | コーヒー | 喫茶店の看板に残る |
タバコ | 煙草 | タバコ | 古い文献でよく見られる |
ガス | 瓦斯 | ガス | 明治期の科学書に頻出 |
当て字は外国文化を日本語に取り込むための工夫であり、「叙利亜」もその一環として誕生した表記 でした。
新聞記事に見る「叙利亜」の使用例
「叙利亜」という表記は、特に昭和初期の新聞記事でよく使われました。例えば「叙利亜情勢緊迫」「叙利亜戦線拡大」といった見出しが並び、国際政治を伝える言葉として定着していたのです。
当時の日本人にとって、「叙利亜」という表記は海外ニュースを理解するための窓口であり、国際感覚を養う重要な役割を果たしていました。 今日の読者にとっては古風に見えますが、その背景を理解すれば日本語の歴史的重みを実感できます。
叙利亜が残らなかった理由と他国表記の違い
「叙利亜」が現代に残らなかった理由を、他の国名の表記と比較して整理します。
国名 | 漢字表記 | 略称としての存続 | 理由 |
---|---|---|---|
イギリス | 英吉利 | 英 | 国名略称として政府文書に残った |
フランス | 仏蘭西 | 仏 | 外交や新聞で定着 |
ドイツ | 独逸 | 独 | 同盟関係や外交で使用 |
イタリア | 伊太利亜 | 伊 | 欧州関係で頻出 |
シリア | 叙利亜 | 残らず | 音写のみで意味的関連性が薄い |
「叙利亜」が消えたのは、他国表記と異なり略称として活用される余地がなかったため といえるでしょう。
日本語における「叙利亜」の意味と役割
現代において「叙利亜」という表記はほとんど使われません。しかし、歴史的な資料や古い新聞を読むと、日本人が外国をどう受け止めていたのかを示す手がかりとなります。
「叙利亜」は意味を持たない当て字でありながら、日本語が外国語を受容する過程を示す象徴的な存在 です。外来文化をどのように翻訳し、日本語に馴染ませてきたかを知るうえで欠かせない表記といえるでしょう。
まとめ
シリアを漢字で「叙利亜」と書く理由は、外国語の音を日本語に取り込むための当て字によるものでした。各漢字は意味を持っていますが、ここでは音を優先して使われたため、シリアの特徴を表すものではありません。戦後以降はカタカナ表記が一般化し、現在では「シリア」と統一されています。
しかし、「叙利亜」という表記は日本語の歴史を振り返るうえで貴重な存在です。当て字文化は日本人が異国を理解しようとした努力の一端であり、外国語と日本語の関係を学ぶ上で今なお重要な意味を持っています。